オルゴールとの出会いをあなたに

第ニ章:リュージュ社の歴史

19世紀のスイス情勢
ジャン=バティスト・イザベイ, Public domain, via Wikimedia Commons


スイスはフランス・ドイツ・イタリアと国境を接する多言語・混成民族の国家です。

18世紀末から19世紀にかけて、革命や戦争が続くヨーロッパで、異なる共同体が自治を求めて同盟を結び、1815年ウィーン会議にて永世中立国として承認され、スイスの最後の内戦である1847年の分離同盟戦争ののちに連邦国家が成立し、経済発展の素地が作られます。

第一次世界大戦(1914年-1918年)では、スイスは中立国として戦火は免れましたが、その影響を強く受けます。観光に依存し、資源に乏しかったスイスは、国境を守る兵にも給料が支払う事が出来ず、食品や石炭の輸入が途絶え、価格が高騰、困窮からスイスを離れる移民が急増します。同時に、戦火を逃れるため諸外国からの移民も増えました。

オルゴール発祥の地サン・クロワはフランスからの移住者が多かった事もあり、現在もフランス語が90%を占めます。
サン・クロワとオルゴール
サン・クロワ まちの風景


18世紀、スイスは服飾産業が盛んな国でした。そこにフランスから時計職人がスイスに移住としてきた事もあり、オルゴール発祥の地はスイス サン・クロワになります。

当時、西洋音楽は貴族と教会のものでした。18世紀末から19世紀にかけて起こった産業革命や戦争の影響で音楽は一般に徐々に広まり、誰でも音楽を楽しめるようになります。

これに伴い、オルゴール製造の分野でも、より複雑な音色を表現しようとしたもの、装飾を凝らしたものなど、付加価値をつけたものが生産されました。懐中時計などの小さなものから、家具や調度品に至るまで、バリエーション豊かに生産され、オルゴール黄金期となりました。

サン・クロワは、オルゴール産業の中心として栄えていましたが、1877年トーマス・エジソンにより蓄音機が発明・発表され、その後、エミール・ベルリナーによりレコード蓄音機が発表・販売され、爆発的人気となり、オルゴール人気が下火になります。

40軒ほどあったサン・クロワのオルゴール工場も経済的淘汰を余儀なくされ消えていきます。現在のサン・クロワにはリュージュ社の工場を残し、ほとんどは残っておりません。
創始者シャルル・リュージュ
リュージュファミリー


1865年、26才のシャルル・リュージュ(1839-1887)は、サン・クロワに移住し、懐中時計や香水瓶、ライターなどに仕込まれた小型オルゴールなどを作る、音楽懐中時計店を開きます。

若いシャルルが作る精密なオルゴールは、サン・クロワの名物として注目され、1867年に開催された、パリ万国博覧会(42ヶ国が参加、会期中1500万人の来場者)、スイスパビリオンでサン・クロワブランドとしてオルゴールが出展され、そのブームに火がつきます。

1876年ではフィラデルフィア万国博覧会、1885年にはアントワープ万国博覧会にも出展し、スイスのオルゴールは世界的に知名度をあげ、サン・クロワに鉄道が引かれたほどでした。
二代目アルベールによる組織化
1886年、シャルルの6番目の息子アルベール・リュージュにより、オルゴール製造メーカーの組織化が行われます。1977年にシンギングバードメーカーのEschle社、1985年にthorensのオルゴール部門を買収します。

1985年にドイツのパウロ・ロッホマンによりディスクオルゴールが発明され、ディスクの交換が簡単に出来ると話題になり、オルゴールの人気はさらに上昇し続けます。

さらに、翌年Lador社を買収、1991年にはCuendet社を買収し、オルゴールメーカーとして不動の地位を築きます。

その後、アルベールの妻アリスが経営を引継ぎ、その後3人の息子たちギド・アルベール・ヘンリがリュージュ社を引き継いでいきます。
三代目キド・リュージュの軌跡
1929年、世界恐慌が訪れ、1939年には第二次世界大戦が始まり、リュージュ社は資金難に陥ります。そんな激動の時代の中で、リュージュ3兄弟は「Kandahar(スキーのビンディング)」を発明し、撤退を余儀なくされていたオルゴール部門を維持する事が出来ました。

第二次世界大戦終了後、オルゴール業界に転機が訪れます。アメリカ駐屯兵の間でオルゴールをお土産として持ち帰るのがトレンドとなり、オルゴールを贈る文化が世界中に広まって行くのです。

小さくて低価格なオルゴールに人気が集まったのをきっかけに、品質の高い高級オルゴールも見直される事になりました。三代目のギド・リュージュは、パリのBontems社のシンギングバード事業を買収し、シンギングバードの製造を再開、続いてオルゴール付き懐中時計の製造も再開し貿易を学びます。
リュージュ社の今
カセットやステレオなどの流行に圧されているオルゴールメーカーや部門を買収し、唯一無二のオルゴールメーカーになったリュージュ社は、1988年、スイスの投資家グループに買収されて現在に至ります。

リュージュ社は、これまで培われたオルゴール製造技術を継承し続け、今もなおオルゴールの最高峰ブランドとしてブレイクスルーとライジングを繰り返しています。

また、リュージュ社のアンティークオルゴールは、世界中の熱心なオルゴールコレクターの注目の的にもなっています。

ギド・リュージュ自身もオルゴールのコレクターで、ジャクリーヌ夫人と共に世界中を訪れ、オルゴールコレクターと親交を深めてきました。

中でも京都嵐山オルゴール博物館には、キド自身のコレクションも展示され、過去200年の知識とノウハウ、美意識、技術が詰め込まれたアンティークオルゴールの生の音色に触れる事が出来ます。
リュージュ社の信念
伝統・品質・独占的・近代的・創造性

1866年から現代において、世代交代と買収・合併を繰り返しながら、オルゴール製造の技術はリュージュ社の魂として受け継がれています。

現在において、最高級・最高品質でオリジナリティあふれるオルゴールを製造しているのは、世界にただ一つリュージュ社のみとなります。

ひとつのオルゴールが出来るまでに最低3ヶ月。長いものでは一年もの歳月をかけて制作されます。

その時間は、優秀な職人たちが、オルゴールの美しい音色をつくるために、伝統技法と工程を守り続けている証なのです。

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