オルゴールとの出会いをあなたに
第五章:木象嵌の魅力
木象嵌とは
オルゴールの木製ケースには、イタリアの高級家具に見られる木象嵌(もくぞうがん)が施されています。貝がらを使ったものは螺鈿(らでん)、木材の色や節を生かしたものを木象嵌と呼びます。
木象嵌発祥の地はシリアだと言われています。その技術は世界中に広まり、その年代、その地域の文様や図案、芸術様式が取り入れられています。 中でもスペインやイタリアでは家具や土産物に木象嵌が取り入れられ、その精密さと美しさから高級品とされています。
シスマとキリスト教の教派
その土地が持つ資源、政治・宗教・思想や年代、貿易や経済的な発展など、様々な背景と環境から、その土地に住む画家や職人の熟練度に違いが出てきます。当時ヨーロッパでは、絶対君主制の国が多く、王族と政治、キリスト教が密接に関わっています。ここでは、ヨーロッパで起きた宗教分断についてザックリお話したいと思います。14世紀、キリスト教はローマ帝国の国教でしたが、ローマ帝国が東西に分裂した結果、教会も東西に分かれることになりました。 これを大シスマと言い「分裂」という意味があります。 双方破門とし、東方=正教会が東欧へ、西方=カトリックが西欧へ、別々の教義を持つようになります。 そして16世紀頃、イタリアの聖ピエトロ大聖堂の建設費を集めるために、ローマ教皇レオ10世の名の下に売りだされた罪を軽減する贖宥状(免罪符)がドイツで売り出されます。
これに疑問を感じた、ルターが意義を唱えた事が端緒となり、北欧でプロテスタントが広がります。こういった啓蒙思想が広がり、シンプルな装飾を推奨するプロテスタントと対照的に、カトリックの教会は装飾過剰なゴシック様式に移っていきます。そしてその流行の中心はイタリアからフランスに移り、その後世界中に広がっていきます。
ローマ・カトリックの特長
聖母マリア像を祈り、十字架にイエス像があります。教会には巨大なパイプオルガンやステンドグラスなど立体的で芸術性の高い装飾が施されているのが特長です。神父は男性であり、結婚をしてはいけないという戒律があります。
聖母マリア像を祈り、十字架にイエス像があります。教会には巨大なパイプオルガンやステンドグラスなど立体的で芸術性の高い装飾が施されているのが特長です。神父は男性であり、結婚をしてはいけないという戒律があります。
プロテスタントの特長
偶像崇拝を好まないプロテスタントの教会は集会所の役割が強く、十字架と説教台があるのみのシンプルな佇まいです。職業は神から与えられた天職とした、カトリックとは真逆の労働観を提唱した事もあり、一般市民に受け入れられていきます。
偶像崇拝を好まないプロテスタントの教会は集会所の役割が強く、十字架と説教台があるのみのシンプルな佇まいです。職業は神から与えられた天職とした、カトリックとは真逆の労働観を提唱した事もあり、一般市民に受け入れられていきます。
東方正教会の特長
東方正教会又はギリシャ正教とも呼ばれ、主に東欧で広がりました。十字架には罪状書きと斜めの足台のついた八端十字架が用いられています。偶像崇拝を好まず、教会にはビザンティン美術の流れを組んだ平面的なイコン(聖像画)が飾られます。
シスマが起こり、それぞれに概念や規律が作られ、その国の文化として定着していきます。カトリック教徒が多い国は、芸術性の高い建築や調度品が作られ、プロテスタント教徒が多い国は、メカやからくりを作る技術力を伸ばしていくのです。東方正教会又はギリシャ正教とも呼ばれ、主に東欧で広がりました。十字架には罪状書きと斜めの足台のついた八端十字架が用いられています。偶像崇拝を好まず、教会にはビザンティン美術の流れを組んだ平面的なイコン(聖像画)が飾られます。
この後は、ヨーロッパの美術史と照らし合わせて、ざっくり書いていきます。
イタリア・ルネサンス時代の木象嵌(タルシア)
時代はさかのぼって476年、シルクロードの要であったコンスタンティノープルが失われた事により、大航海時代が始まります。ローマ帝国滅亡によりギリシャの知識人や芸術家たちは、ヨーロッパから東方への中継地として貿易で栄えていたイタリアに亡命します。当時、イタリアは、ヨーロッパの毛織物を東方へ、また、東方のスパイスを独占販売して富を得た富裕層が多く、彼らは芸術家たちのパトロンでもありました。
14世紀から16世紀までのイタリア・ルネサンス時代、ウルビーノ公国の君主であり傭兵隊長だったフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公は、宮廷に画家や文化人、知識人を集め、芸術活動を支援していました。
この時代のカトリック教会には、聖職者のみが出入りするミサ準備室の棚や、 聖職者専用の祈祷台に木象嵌(タルシア)が施されています。
それまで幾何学模様が主流だった木象嵌とは違う透視図法が使われており、芸術家から指導を受けたのではないかと言われています。 このような透視図法を用いたタルシアの制作に携わった巨匠の中には修道士の名も残っていて、いくつかのカトリック教会に当時の木象嵌が残されています。
イタリアで培われた木象嵌の技術は現在も継承され、イタリアのクラシックスタイルの家具や調度品には、精密で美しい木象嵌が施されています。
ルネサンスからバロックへ
CC BY-SA 4.0 Diego Delso16世紀末、イタリアのカトリック教会の装飾は、マニエリスム(様式にとらわれた模倣主義)を経て、 バロック様式に変わっていきます。
バロック様式は、建築や楽器・家具・調度品と、彫刻・絵画・音楽・文学などが一体となった総合芸術が特徴です。 これらはカトリックの反宗教改革運動やヨーロッパ諸国の絶対王政のプロパガンダとしての意味も含まれ、 凝った装飾、過度な光の対比、ゆがみや曲線の多用、豊饒さや壮大さを過剰に表現した芸術様式だと言われています。
その後、バロック様式はイタリアからフランスに中心を移し、ヨーロッパ全土に広がります。
CC BY-SA 3.0 Danielloh79
厳格なバロック様式を引き継ぎながら、ルイ15世の公妾、マダム・ド・ポンパドールの影響を受けて、 貝殻や植物をモチーフにし、配色にパステルカラーに白・金などが用いられたロココ様式が登場します。
CC BY-SA 3.0 Andrew0921
おしゃれで賢く浪費家だった、マダム・ド・ポンパドールは、1764年に肺炎を患い42歳で死去、 1774年にルイ15世が天然痘を患い64歳で死去し、ルイ16世に実権が移った頃には、 装飾を抑え直線と均衡を重んじたルイ16世様式に変化していきます。この流れから、ロココ様式はバロック様式の一部だと考える人もいます。
1744年、ルイ16世の妻マリー・アントワネットは宮殿敷地内の庭園を与えられます。マリー・アントワネットがそこに作ったのはル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌと呼ばれる素朴な農村風景とシンプルで簡素な建物でした。
マリー・アントワネットは唯一の安らぎと余暇を楽しめるプライベート空間を得たと同時に、宮殿内ではどんどん奇抜なファッションを取り入れ、貴婦人たちはこぞってマリー・アントワネットの真似をしたと言われています。
原点回帰へ 新古典主義
曾祖父や祖父の時代からの領土拡大や植民地戦争が原因で、ルイ16世は財政難に見舞われます。三部会(全三身分会議)復活を条件に、銀行から融資を受ける約束をしましたが、失敗に終わり、1789年フランス市民革命が起こります。1792年、裁判により王権を失ったルイ16世は、翌年の1793年に処刑、同年後を追うようにマリー・アントワネットも処刑されてしまいます。後継者だったルイ17世は、ひどい虐待を受け1795年9歳で病死してしまいます。
絶対君主制の終焉と共に、ロココ様式の優雅で軽妙で官能的な雰囲気は、酷評の対象になってしまいました。
18世紀前半に発掘された古代都市遺跡ヘルクラネウム(エルコラーノ)やポンペイで、 当時の神殿や浴場・壁画などが見つかり、人々は古代ギリシアへの関心を高めることになります。 装飾性の高い宮廷美術から相反した啓蒙思想や革命精神を背景として、この時代にフランスで興ったのが新古典主義です。
CC-BY-SA-3.0 Camille Gévaudan
ルイ16世処刑されて3年後の1796年、ヨーロッパが過渡期を迎える中、アントワーヌ・ファーブルが初のオルゴールを作り、新古典主義が広まる中、1865年に シャルル・リュージュがサンクロワで懐中時計店を開くのです。
木象嵌の魅力
オルゴールの装飾はヨーロッパの美術様式や流行が取り入れられています。オルゴールボックスは、音を共鳴・増幅させる働きと共に、装飾の美しさと芸術性が要求されます。象嵌はカトリックが多く、芸術性に優れた高級家具や調度品の制作に長けた、北イタリアの職人の手により製造され、精密なオルゴールメカは、プロテスタントの労働観により救われたスイスの時計職人により作られました。
今も生産されている古典的なオルゴールケースの木象嵌は、シンメトリーに配置されたルネサンス様式の文様や、バロック様式の曲線が取り入れられている事が分かります。花や蔦を用いたそのデザインは、自然と文化、芸術に敬意を払い、中庸と調和の意味を盛り込んだものになっています。